「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」という本を最近読み終え大変面白かったので紹介します。
18世紀の解剖医、外科医で「近代外科学の開祖」「実験医学の父」と呼ばれる人物の伝記本です。
伝記といっても英雄を称えるだけのようなヨイショ本ではないので大変面白いです。
近代的な外科治療法の確立
18世紀の医学では外科は内科より下に見られていて、治療法も非科学的な方法がとられていました。
瀉血(しゃけつ)という血を抜く治療法や外科も自然治療をまたずにすぐに切ってしまう手法がとられていました。
ジョン・ハンターは不用意に切断すると患者の体力を奪うだけで逆効果と推論します。
人間の自然治療を信じて経過観察を行い、麻酔なしで被疑箇所を切るという無茶な治療法をやめます。
死体の解剖と動物実験により人体の動作に仮説を立てて治療法を試行錯誤して結果により治療法を変えました。
現代では当たり前ですが近代的な外科治療法はこの人から始まったんですね。
また、後輩若手を多数育成して近代的な手法の治療の考え方取り組み法を伝えます。
遺体泥棒市場の形成
ジョン・ハンターは若い頃は勉強嫌いで学歴もなく、とても医者になれるような人間ではありませんでした。
兄のウイリアム・ハンターが医者になり実家で暇をしている弟に遺体解剖の手伝いをさせる事にしました。
解剖研究には新鮮な遺体が多数必要でした。
当時は遺体が解剖されると最後の審判の時に復活ができないと信じられていたのです。
自ら遺体を差し出してくれる患者は少なく解剖研究のための遺体が不足してました。
兄の手伝いで遺体解剖をするだけでなく遺体回収も自ら行いました。
墓を荒らしを組織化、葬儀屋にお金を渡し遺体回収業者の組織化、市場形成を行いました。
ほとんどは本人や遺族の了承を得ておらず当時でも犯罪行為です。
兄からの独立と確執
解剖の手伝いだけでなく、学生への解剖講義も行い医学知識をどんどんつけていきます。
解剖については兄よりも優れた能力を持つようになります。
兄からの独立のため戦場での治療活動軍医を経て、病院に所属し生きた人間の外科診療も行うようになります。
恩人ともいえる兄のウイリアム・ハンターですが次第に確執が出てきます。
まず、ウイリアム・ハンターは弟が行った優れた標本を全部自分保有にしてしまい譲りません。
また、弟と友人が発見した医学的発見をさも自分が発見したかのように論文発表します。
ジョン・ハンターは私財を投げうって人体解剖の標本や希少動物の死骸などを多数集めるコレクターになります。
そのため自分が作った標本をどうしても取り戻したく兄と話しますが一切返してくれなかったようです。
同僚との確執
近代的な治療法を若手に伝授して尊敬され、海外からの評価も高まり著名人からも診察の依頼が来ます。
しかし、病院の同僚達は中世的な治療法で学校を出ていたためついていけず妬み嫉みから確執が起きます。
ジョン・ハンターは率直な物言いで事実をズバズバ言うタイプらしくコミュ力が高いとは言えないですね。
歴史的な著名人の友人、診察をする
ジョン・ハンターが診察した人には歴史上の人物が多数おり、驚きました。
まず、国富論を書いた経済学者の「アダム・スミス」です。
首相でナポレオンとの戦争を勝利に導いた「ウイリアム・ピット(小ピット)」
ローマ帝国衰亡史を書いた「エドワード・ギボン」が友人だったそうです。
感想
ガリレオの地動説が封じられダーウィンの進化論も批判された事でも感じたことですがなぜヨーロッパが世界で最初に近代化したのでしょうか。
ヨーロッパはアジアより明らかに宗教的な意味合いで近代化とはかけ離れた考えが一般的でした。
地球と生物は6千前に神が今の形のまま創造し、いずれ最後の審判で人々は裁かれるという宗教観です。
普通に考えればとても近代化には向かない思想のはずです。
しかし、逆に東アジアよりずっと科学とは反対な強烈な思想を持っていたからこそ疑問に持つ事で探求心が芽生えたのではないでしょうか。